縄文人立話

縄文人A、Bのたわいのない立話。ちょっと立ち聞き。


フリーペーパーと縄文人



縄文人A:さっきからイヤホンつけてノリノリだけど、何聴いてるんだ? 録音したイノシシの断末魔か?
縄文人B:そんなわけねえだろ! そんなもん録音しねえよ、趣味悪すぎだろ!
A:じゃあなんだよ、スピードラーニングか?
B:おいっ石川遼君じゃあるまいし、オレだって音楽くらい聴くよ!
A:あーあれか、チューブだろ。今一番フィリピンパブでモテる歌はチューブだって話だからな。
B:知らねえよ! そんな話!
A:ははは、冗談、縄談。で、何聴いてんの。
B:ブルーノ・マーズだよ。今大人気の。
A:おーなんだかしゃらくせえもん聴いてんな、オレも好きだよ。前のアルバムに入ってる「ロックド・アウト・オフ・ヘヴン」って曲知ってるか?
B:知ってるよ、かっこいいよな。
A:じゃあポリスの「メッセージ・イン・ア・ボトル」は?
B:えっポリスって警察?…
A:お前はやっぱりただの弥生野郎だな。
B:はぁ⁉︎ なんだよわけわかんねえこと言うな!
A:いいか、「ザ・ポリス」は1970年代から80年代に活動したロックバンドだ。あのスティングの在籍していたバンドだ。で、「ロックド・アウト〜」は、その「ザ・ポリス」の「メッセージ・イン・ア・ボトル」という曲のオマージュみたいな歌なんだよ! ブルーノ・マーズはかつてポリスのコピーバンドをやってたくらいポリスのファンなんだよ。ったく、好きって言うならもうちょっとくらい深くディグるくらいの興味は無いものかね。ちょっとしか掘り下げないから弥生しか出土しねえんだよ!
B:うるせえ、「あのスティング」って言われてもピンとこねえ人もいっぱいいるよ! それにディグるって、本当に地面を掘るみたいに言うんじゃねえ!

A:まあ、それはそうとて、今回は縄文のことじゃなくて、フリーペーパーの話をしたいんだ。この『縄文zine』は、いわゆるフリーペーパーなんだけどさ、縄文時代をテーマにしたフリペなんて多分世界初だと思うんだよね。
B:まあそりゃそうだ。
A:自分で言うのもなんだけどさ、すげえ楽しいフリペだと思うんだよ。
B:みっともねえから自分で言うなよ。
A:考えてみるとさフリペって興味深いメディアだなって思うんだよ。その中でも個人メディア系フリペっていうのが特に興味深いし面白いんだよ。
B:縄文zineもどちらかといえば「そっち」よりだな。
A:クライアント、オレ。編集長、オレ。ライター、オレ。カメラマン、オレ。デザイナー、オレ。のオレオレ雑誌ね。
B:しょうもねえ犯罪集団みたいにいうんじゃねえ! 
A:もちろん個人ではなく企業のPRを兼ねて作られたフリペにも名作は過去にたくさんある。いくつかあげると、PARCOの『ゴメス』とか、モスバーガーの『モスモス』とか資生堂の『花椿』とか有名だよな。当然誌面のデザインや内容、ともにプロの仕事だし、お金もちゃんとかけられるし、個人メディア系フリペとはクオリティの面では雲泥の差があるんだよ。
B:それでも個人メディア系フリペの方が面白い?
A:そう。企業系のフリペはさ、どんなに尖ろうとふざけようとタナカカツキが最高のバカをやらかそうが結局のところ彼らはさ、ちゃんと読者が見えていて、ちゃんとその読者に届けているんだよ。
B:そりゃそうだ!じゃないと作らんでしょ!
A:ところが個人メディア系フリペはそれが無いんだよ。
B:読者を想定してないのか⁇
A:してるつもりかもしれないけど、そう簡単に想定した読者には届かない。狙ったところに届けるっていうのはものすごく難しいことなんだ。フリペを作るよりそういう仕組みを作ることの方がハードルが高いかもしれない。正攻法でやるなら資本もいるし、人手もいる。むしろネットや書店で探せて、購買するというアクションがある「書籍や雑誌」の方が流通の仕組みがあるという大きな点で、個人メディアのテーマになりやすい「ニッチ」に向いている。
B:そうなのか? じゃあまるっきりいいところないじゃんか!
A:イヤイヤ、結局のところそのどうしようもないところが魅力なんだよ。
B:なんなんだよ、お前はダメ男好きの恋愛女か⁉︎
A:「でも、彼、ケンカした後はすっごく優しいんだよ…」
B:うるせえ!いちいち乗っからなくていいんだよ!
A:はは、冗談、縄談。それはそうとて、めちゃ苦労して、誰かに読んでもらったら良いなって、原稿書いて、写真撮ってイラスト描いて、デザインして、いくらかのお金もかけて印刷してさ、東小金井の「オンリーフリーペーパー」に行って置いてもらう。で、たくさんあるフリーペーパーの中から誰かに自分のフリペを手にとってもらって、もしかしたら、そのどこかの誰かがひと笑いしたり、少しでも共感してくれたら良いなって思ってるんだ。いろんな思惑はあるにせよ、個人メディア系フリペは根本的にはこれが動機なんだ。で、これって何かに似ていないか?
B:へ? 何?
A:本当にお前は勘が悪いな。そんなことじゃウサギも捕まえられないぞ。
B:うるせえ! 何に似てんだよ。
A:個人メディア系フリペは、ズバリ、「メッセージ・イン・ア・ボトル」に似ているんだよ。
B:えっさっき言ってた曲?
A:そう。「メッセージ・イン・ア・ボトル」の歌詞は海で漂流してしまった男が救助を求めてボトルにSOSを入れて海に流すという、まあそのまんまの曲なんだけど、個人メディア系フリペも実はやってることが同じなんだ。「自分はここにいるよ」ってメッセージをビンに入れて海に流しているんだ。拾ってもらえるかわからない、ずっとプカプカ浮いてるだけかもしれない。それでも送らずにいられないんだ。
B:確かに。そう言われたら似ているかも…。
A:ポリスの「メッセージ・イン・ア・ボトル」には続きがあって、ある朝男が目覚めるとあたり一面SOS入りのボトルだらけだったんだ。漂流していたのは自分だけではなかった。孤独なのは自分だけではなかったって。そして実はこの曲は漂流のことをではなく、都会の孤独を歌った歌だったんだ。
B:えっ都会の孤独?
A:そう。誰だって誰かとつながりたい。ひとりぼっちは自分だけじゃないって歌だったんだ。これだけSNSが利用されているってことはその証明だよ。広く解釈すればSNS全般だって「メッセージ・イン・ア・ボトル」なのかもしれない。ただ、やっぱり個人メディア系フリペはその切実さから所作、誰にも届かないかもしれないし、誰に届くかもわからないというところまで、完全に、「メッセージ・イン・ア・ボトル」なんだ。
B:なんだかそのフリペ重たいよ。
A:だから面白いんだよ。企業のPRを兼ねて作られたフリペとはぜんっぜん切実さが違うんだよ、切実さが。そっちはどうせ「お仕事」だろ、こっちは誰にも頼まれてねえんだよ!
B:さらに重たいよ。
A:どこからかでもらってきたフリペを手にとっているそこのみなさん。そのフリペ、誰かの「孤独のメッセージ」ですよ。当て所なく都会をさまよったあげく、あなたのところに流れ着いたビン詰めのメッセージ。読まずに捨てたり、読み終わったからって鍋敷きにしたりするのはやめてください。孤独という棚を作って保存するか、友達と回し呼んだりして、楽しんでみてください。耳を澄ましてみたら、もしかしたらその誰かの断末魔が聞こえるかもしれませんよ!
B:断末魔なんて聞こえねえよ! いいかげんにしろ!