縄文人立話

縄文人A、Bのたわいのない立話。ちょっと立ち聞き。


司馬遼太郎と縄文時代



A:司馬遼太郎って読んだことある?
B:もちろんっていうか、すげえ好きだよ。国民的な歴史小説家だしな。
A:そうそう、まさに国民的作家。「竜馬がゆく」とか「坂の上の雲」、「翔ぶが如く」。それから「菜の花の沖」に「国盗り物語」。映画や大河ドラマになった小説もたくさんあって、さらには司馬遼太郎さんの評伝や評論自体もたくさん出ている。
B:司馬遼太郎を読んで歴史が好きになった人もたくさんいるだろうね。
A:でも残念なことがひとつ。
B:ん?
A:おれは腹を立てている。
B:おいおい、頼むから司馬遼太郎に喧嘩を売るのだけはやめてくれよ。
A:縄文時代を書いてないんだよ! 40冊くらい長編歴史小説を書いている中に縄文時代を舞台にした小説がないじゃないかよ!こら!シバ!
B:おい! 失礼だぞ! 怒られるぞ!
A:いやいや本当に司馬遼太郎の書く縄文時代小説が読みたかったんだよ!
B:まあ確かにそれは思うよね。司馬さんの書く時代はだいたい戦国以後が多いよね。
A:読みたかったんだよ、火焔土器小説「燃えよ土器」とかさ。
B:「燃えよ剣」だろ! 土方歳三が主人公の小説だよ! なんだよ火焔土器小説って。
A:坂の上にぽっかり土器が浮かんでいるシーンで終わる「坂の上の土器」
B:なんだよ土器がぽっかりって! 「坂の上の雲」だろ!
A:ははは、冗談、縄談。
B:でも縄文時代はわかりやすい記録というものが全くないから、匿名性が高いというか、個人として縄文人を見ることが出来づらい時代だもんな。司馬さんですら縄文時代を小説にするのってやっぱり難しかったんじゃないかな。
A:まあね。主人公をフィクションにするわけにはいかなかったのかもな。
B:司馬さんは置いておいて、縄文時代をテーマにした小説ってあるの?
A:小説はぜんぜんないよ。上橋菜穂子さんの「月の森に、カミよ眠れ」は縄文に近いけど。
B:それほど難しいのかもしれないね。
A:「人の石器を笑うな」山崎ナオコーラ
B:おい!違うよ「人のセックスを笑うな」だよ!
A:「名もなき土偶」宮部みゆき
B:「名もなき毒」だよ!
A:「限りなく透明に近いドグー」村上龍
B:「限りなく透明に近いブルー」だよ! なんだよドグーって。
A:ドグーを光にかざして、「ドグーだ、限りなく透明に近いドグーだ」というラストシーンは最高に絶望と希望がないまぜになっていて最高だったな。
B:勝手に話をすすめるな! なんだよドグーって、本当に怒られるぞ。
A:のび太がドグーを庭で飼うと言いだしたときは、こいつ大丈夫かなと思ったよ本当に。
B:なんだそりゃ、違う話にさらに違う話を混ぜるな! 今おれがお前大丈夫かよと思ってるよ!
A:冗談、縄談。でも司馬遼太郎に戻るとさ、司馬さんは少なくない批判も受けているんだ。氏の小説の歴史観を司馬史観とし、その是非や正確さについての批判や、あまりにも小説の主人公の性格を勝手に解釈しているという批判が多かったと思う。
B:えーそうなの?
A:小説家にそのような批判はあまりにも的外れだとも思うけど、国民的作家・歴史小説家という立場では避けられない批判だったんだと思う。いろいろと言う人はどうしたっているんだろうな。
B:もし司馬遼太郎を読んだことのない若い人にお勧めするとしたらどの作品がいいのかな?
A:やっぱり「龍馬がゆく」だろうな。この小説は歴史小説でもあり、青春小説でもあり、剣劇小説でもあり、ラブストーリーでもあり、龍馬という人物の伝記でもあるんだ。なにより司馬遼太郎は龍馬を読者の親友のように描いている。いっしょにふざけ合ったり、脱藩したり、剣の修練をしたり、悔しい思いをしたり、時代を動かしたり。龍馬と同じ年代で読んだらより龍馬を身近に感じられるんだと思うんだよ。
B:確かにそうだ。そう考えると本当に縄文時代小説を司馬遼太郎に書いてもらいたかったね。
A:「縄文ZINE」は小説じゃないし、そんな大それた媒体でもないからこんなことを言うのはなんだけど、司馬さんの「主人公を親友のように描く」所を参考にしているんだよね。まあでもはっきり言ってムズイよね。
B:えっ、司馬遼太郎を参考にしてたの!?